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はり養生院いのうえ
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息子がくれた宝物 ー 不登校の歩みから気づいたこと

あなたが生まれてきてくれて、私は本当に幸せです。
たとえ学校に行かなくても、勉強ができなくても、
あなたはあなたのままで素晴らしい存在なんだよ。

この言葉をようやく心から伝えられるようになったのは、つい最近のことでした。


それまで私は「母親として、子どもをきちんと育てなければ」「学校に行かせなければ」という思いに縛られ、
息子に対しても自分に対しても厳しくなりすぎていました。

「学校に行かないこの子を、どうしたらいいんだろう」
「どうして他の子と同じようにできないの?」
そんな問いと不安でいっぱいだった日々。

けれど振り返ってみれば、そのすべてが「息子と自分自身を知るための旅」でした。


これから少しずつ、わが家の歩みを振り返りながら、気づいたことや学んだことを綴っていこうと思います。

はじまり

4歳頃から癇癪がひどかった息子

3歳まではごく順調だった育児でしたが、4歳を過ぎた頃から、息子の癇癪がひどくなりました。家では比較的穏やかにしているのですが、幼稚園で少しでもうまくいかないことがあるとひっくり返る、わがままを通す、最後は脱走するといったことが日常茶飯事になっていました。

当時の私は、どうしても「こうあってほしい」という自分の理想像を押し付けてしまっていたことに気づいていませんでした。運動会や生活発表会に参加できないことを見て、心の中で落胆したり、他の子と比べたりしていました。

印象的だったのは卒園式です。3月に入って、「卒園の歌を歌ったり準備をしている時に、今日、M君、歌いながら泣いていましたよ」と先生から言われ、息子にそんな感情があるのだということにびっくりしました。(今から考えるとなんてひどいんでしょう)。

それでも息子の深い部分を思いやることなく迎えた卒園式当日。息子は卒園証書を受け取らなかったうえ、式の最中に、脱走したのです。

家に帰って興奮が鎮まった息子はおもむろに制服を脱ぐと、ハサミを持ってきて、制服を小さく小さく切り刻みました。

そして、すっきりした顔で「さあ、謝恩会に行こう」と言って、幼稚園に戻ったのです。

その姿を見て、私は息子の「卒園したくない」という気持ちに全く気づけていなかったことに愕然としました。

今考えると、私自身、当時は鍼院を立ち上げたばかりで、仕事のことで精一杯。活発なうえの子のお稽古事の送迎や子供のお世話に明け暮れ、子どものこころを何もみていなかったのでした。

不登校への歩み

最初から教室でじっとしていられなかった低学年

ピカピカの1年生も束の間、小学校第一日目から、息子は教室にじっといられませんでした。

・椅子にずっと座れない。姿勢を崩す。椅子をがたがたする
・他の子にちょっかいを出す。大声を出す
・上履きを履かない
・先生の指示通りに動かない
・休み時間だけ張り切る。休み時間が突然なくなると癇癪を起こす
・抵抗して、先生や支援の先生を蹴る、かじる

などなど、もう散々でした。小学校では登校班が必須でしたが足並み揃えられたことがなく、母親の私が付き添っていました。また、一日耐えられなくなり、「帰る」コールもしばしば。仕事を途中で抜け出し迎えに行くこともしばしば。

そんな時にある事件が起きました。

 

他の子を傷つける

息子はドッジボールが得意でした。1年生の時、ドッジボール大会で自分のクラスが負けました。当時、負けるという出来事にも耐えられず、いつも駄々を捏ねて周りを困らせていました。

対戦して勝ったクラスのある子からからかわれたのです。カッとして息子は相手の顔面にパンチを食らわせてしまいました。

相手の子を傷つけてしまい、その後何年も渡り相手の家族に迷惑をかけてしまいました。私自身の心の闇に深く深く刻まれた出来事でした。

担任の先生に救われた低学年時代

小学2年生、3年生は大ベテランの先生のおかげで、なんとか学校には行っていた息子。それでも、「なんでみんなと同じことしなくちゃいけないの?」「勉強なんて大嫌い」「学校なんて嫌い」な息子は様々な問題行動を起こしました。先生とのやりとりのノートは10冊以上、毎日送迎、呼び出し、課外授業の付き添い、に明け暮れる毎日でした。

ある日、校長先生からわざわざ呼び出しがあり、「お子さんを条件付けで育てられてきましたね。ここから軌道修正するには6年はかかると思いますが、頑張ってください」と言われました。校長室の壁には、息子が何かをぶつけて開けた穴がいくつかあいてました。

息子のこころやからだの動きを全く見ずに、表面的に対処しようと、〇〇あげるから〇〇して、大人しくしてたら〇〇買ってあげる、作ってあげる、というような、交換条件を出してその場を切り抜けていた私たちのあり方が、教育のプロの目には問題の根本と映っていたのだと思います。

発達障害と疑う

泥沼・混迷化するばかりの日々

息子の行動だけを見ると、明らかに発達障害ではないかと思う場面がたくさんありました。本やサイトを見てはチェックリストに当てはまり過ぎる我が子の有り様にある種の救いを求めていました。

WISCと言う知能指数を測るテストを受けたり、発達支援を行っている塾のようなところに息子を連れて行ってみたり。

でも何か違うと思いました。学校の先生は、「この子は、(発達障害)とは違う」と一点張りで、支援級に入れてはくれませんでした。今思うと、先生は(発達障害ではなく)愛着障害と言いたかったのかもしれません。
 

先生に勧められて町の心理相談にかかりました。その先生との何度目かの面談で、「ADHDの傾向があるので、服薬という選択肢を考えてみてはどうか」と言われました。

咄嗟に私は「多分違うと思います。原因は親の子への関わり方にあると思うので、私自身を変える努力をして、それでも変わらなければ児童精神科に相談したいと思います」と答えました。

からだにも着目した低学年

とにかくたくさん遊ばせる

発達障害の本を読み漁る中で、発達に問題のある子どもの身体的特徴を知りました。

まっすぐに座っていられない
すぐに寝っ転がりたがる
感覚が過敏
じっとしていられない

これらの特徴の背景には、固有覚とか前庭覚といった原始感覚と関係があるらしいということを知った私たちは、極力体幹を鍛えるような動きができるスポーツや外遊びを一緒にするようにしました。

小学校でのサッカークラブや隣町のドッジボールクラブでの活動を息子は心から楽しんでいました。学校では滅茶苦茶だけど、好きなことをしている時は挨拶もできるしルールも守れる息子の姿を見ていると「大丈夫かも?」と思えるのでした。

山登りやキャンプもたくさんしました。何もないところで本能に任せて思い切り遊ぶ、自然に触れて仲間と戯れる経験を親子で楽しみました。

新型コロナウィルス蔓延による学校休業中は親子にとって実は最高の時間を過ごせました😆

学校がない!だけでなく、仲間と借りていた畑に集合し、畑の周りや地元の川、海で遊びまくったあの日々は親子にとって心から安心できた経験でした。

その時に、息子にとっては学年や学校も違う幼馴染たちと固めた絆が、私にとってはママたちと共有した濃厚な時間が、今にも続くかけがえのない財産となったのでした。

まだまだ分厚いモヤの中にいた低学年時代

学校に関すること以外はごく普通の子どものように見えた息子。私といると普通に会話ができるし、遊んでいる時はそんなに目立った問題はないし。何よりもコロナ禍は最高に楽しかったし・・・・

そんな低学年時代でしたが、まだまだ問題の本質にはかけ離れたところにいました。分厚い分厚いモヤの中にいて、息子のこころはおろか、自分自身のこころもわからない。そんな状態だったと思います。

コロナ禍があけ、さらに4年生になって息子は不登校を選ぶようになります。不登校時代のことは、次のブログで書き綴ります。

主宰者について

師・ヘルスコーチ

井上真智子

2011年はり師・きゅう師国家資格取得。2013年神奈川二宮町ではり養生院いのうえを開業。2024年プレシャスミー銀座鍼サロンオープン。

慶應義塾大学法学部卒業後、銀行に就職。その後エール大学大学院国際関係プログラムで学び、国連ニューヨークでインターンを経験。帰国後は証券会社やアメリカの事業会社でアナリストとして実務経験を積んでいたのですが、妊娠、出産を機に大きな決断をします。

文字通りセブンイレブン(7時から23時まで)で働いていた私は、仕事にやりがいを感じながらも心身ともにバランスを崩していたようです。妊娠6か月から切迫早産で入院中、長女を8か月で早産します。そして出産後体調を崩す中で出会ったのが東洋医学でした。育児休暇中でしたが思い切って退職し、鍼の専門学校に入学。東日本大震災の年に国家試験に合格し、今に至ります。

一方で、ハードなスポーツに打ち込む長女と繊細で気難しい長男の子育てに追われ、仕事との綱渡り的な毎日、パートナーとの問題など苦しい時期が続きました。長女出産後から重度の副鼻腔炎を患い嗅覚を消失、慢性疲労を抱えながら、47歳の時には子宮頸癌一歩手前の診断が下り、子宮頸管円錐切除手術を受けるなど体調もボロボロでした💦

精神的にも肉体的にも辛いところからなんとか抜け出したいと、答え探しを続けました。ヨガや栄養療法に出会い、こころとからだの関係に対するスピリチュアル、科学両面での知見を深めていきました。

2024年に入り、長女がカナダに留学、長男は2年半の不登校を経て中学入学と、子育てに一つの区切りを迎えました。17年ぶりに嗅覚を取り戻し、体力気力も回復しました。今は、自分や家族に安心を感じながら毎日自分のやりたいことが出来る幸せを噛み締めています。

 

突然ですが、男性も女性も元気で綺麗な人に、人も仕事もやって来る、と思いませんか?

そんな考えで、開業以来、ご縁をいただいたお一人お一人の方に、内側からの美と健康を通して、何歳になってもやりたいことを思い切り出来る体とメンタル作りをサポートさせていただいています。痛みや凝りだけでなく自律神経やホルモンの問題など様々なお悩みを抱えた方が来院されますが、一時的に良くなってもまたぶり返してしまう背景には、誤った生活習慣やストレスがあります。このため、本格的に体質改善を希望される方には、分子栄養学やファスティング、サプリメント、ダイエット、ストレスへの対処法などを組み合わせたヘルスコーチングを提供しています。銀座サロンのオープンを機に導入した美容鍼メニューもシワやたるみなどお顔の悩みに対して比較的お体への負担が少なく体感しやすいため、ご好評いただいています。

人生100年時代と言われるように、これからは、健康寿命の延長(現状維持)ではなく、アンチエイジング(抗加齢)でもなく、リバースエイジング(若返り)です。専門のクリニックも増えていますが、実はそれほどお金をかける必要はなく、ご自身でできることの毎日の積み重ねがとても大事になってきます。巷に美容や健康の情報が溢れる中、本当に重要なのは、「私に合った」ものを「習慣化する」ことです。

これからも本物の美しさと健康を通じて、誰もが生まれ持った可能性を100%発揮できる社会作りに貢献していく所存です。

 

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