息子にもらった宝物〜不登校から学んだ親子の成長記録
Part2 不登校中に学んだこと
にのみや母と子の思春期相談室
「思春期のお子さんとママのための こころとからだの講座」 開催

息子がくれた宝物 ー 不登校の歩みから気づいたこと

あなたが生まれてきてくれて、私は本当に幸せです。
たとえ学校に行かなくても、勉強ができなくても、
あなたはあなたのままで素晴らしい存在なんだよ。

この言葉をようやく心から伝えられるようになったのは、つい最近のことでした。


それまで私は「母親として、子どもをきちんと育てなければ」「学校に行かせなければ」という思いに縛られ、
息子に対しても自分に対しても厳しくなりすぎていました。

「学校に行かないこの子を、どうしたらいいんだろう」
「どうして他の子と同じようにできないの?」
そんな問いと不安でいっぱいだった日々。

けれど振り返ってみれば、そのすべてが「息子と自分自身を知るための旅」でした。

 

Part1 小学校の不登校の始まりと親の戸惑い

ここでは、Part2 不登校中の様子と息子の変化、親の気づきについて綴っていきます。

小学4年生から完全不登校に

4年生。担任が変わり、支援員さんが予算の関係で学年に付かなくなりました。当初は空き教室で一人で過ごすこともあったようですが、2学期から息子は完全に不登校になりました。私は仕事を大幅に減らし、息子と過ごす時間を増やしましたが、「現実をどうにか変えたい」という思いが強く、苦しみは続きました。

1年生の頃から先生や教育コーディネーター、スクールカウンセラーの先生方と定期的な面談の機会がありました。息子の普段の学校での様子と家での様子をお互い報告し、今後どうしていくかという話し合いの場でした。

息子は、
・学校の授業がつまらない
・やりたくないこともやらされるのが嫌
・ルールがたくさんあるのが嫌
・突然のスケジュール変更が嫌

掃除をやらない、授業中真面目にやっている友達にちょっかいをだす、何かあるとキレる、先生に反抗する

そんな具合でした。

おまけにコロナ禍でマスク着用が必須となり、口周りの感覚過敏のある息子にとっては相当な我慢を強いられました。

学校としては、個人的な理由(ワガママ)のためにルールを変えることはできないし、ましてやマスク着用を徹底しないことでコロナが流行ってしまったりしたら大事になるということでした。

あの頃息子(私にも)にとってキツかったのは、絶え間ない同級生や先生からのマスク着用へのプレッシャーではなかったかと思います。

 

 

 

 

大きな転機

最初から教室でじっとしていられなかった低学年

春休み。6週間、徳之島で過ごす体験をしました。自然の中での生活は心を癒しましたが、帰宅後はまた昼夜逆転と引きこもりに…。

そんな中で出会ったのが、「子どもを変えるのではなく、親自身が変わること」という考え方です。講座を受け、自分の中の負の感情と向き合い始めました。そして少しずつ、「息子を否定せずに、子どもを信じる」という姿勢に変わっていきました。

内面の成長を見せ始めた6年生

「6年生になったら学校に行く」と言い出した息子。最初は睡眠リズムが整わず、うまくいきませんでしたが、少しずつ外に出るようになり、友達とも再会しました。卒業式には出席でき、家庭教師をお願いするなど、勉強への意欲も芽生え始めました。

 

休んでいる間、私は無意識に「こうあるべき」という理想像を息子に押し付けていました。しかし、子どもは本来、自己成長の意欲を持っています。親の理想像を演じさせることで、自己肯定感は下がってしまうのだと気づきました。
「親をやめる」——エゴを手放し、見守ることに決めた瞬間から、息子は精神的に解放され、自分の力で歩み始めました。

再び外の世界へ

小学2年生、3年生は大ベテランの先生のおかげで、なんとか学校には行っていた息子。それでも、「なんでみんなと同じことしなくちゃいけないの?」「勉強なんて大嫌い」「学校なんて嫌い」な息子は様々な問題行動を起こしました。先生とのやりとりのノートは10冊以上、毎日送迎、呼び出し、課外授業の付き添い、に明け暮れる毎日でした。

ある日、校長先生からわざわざ呼び出しがあり、「お子さんを条件付けで育てられてきましたね。ここから軌道修正するには6年はかかると思いますが、頑張ってください」と言われました。校長室の壁には、息子が何かをぶつけて開けた穴がいくつかあいてました。

息子のこころやからだの動きを全く見ずに、表面的に対処しようと、〇〇あげるから〇〇して、大人しくしてたら〇〇買ってあげる、作ってあげる、というような、交換条件を出してその場を切り抜けていた私たちのあり方が、教育のプロの目には問題の根本と映っていたのだと思います。

主宰者について

師・ヘルスコーチ

井上真智子

2011年はり師・きゅう師国家資格取得。2013年神奈川二宮町ではり養生院いのうえを開業。2024年プレシャスミー銀座鍼サロンオープン。

慶應義塾大学法学部卒業後、銀行に就職。その後エール大学大学院国際関係プログラムで学び、国連ニューヨークでインターンを経験。帰国後は証券会社やアメリカの事業会社でアナリストとして実務経験を積んでいたのですが、妊娠、出産を機に大きな決断をします。

文字通りセブンイレブン(7時から23時まで)で働いていた私は、仕事にやりがいを感じながらも心身ともにバランスを崩していたようです。妊娠6か月から切迫早産で入院中、長女を8か月で早産します。そして出産後体調を崩す中で出会ったのが東洋医学でした。育児休暇中でしたが思い切って退職し、鍼の専門学校に入学。東日本大震災の年に国家試験に合格し、今に至ります。

一方で、ハードなスポーツに打ち込む長女と繊細で気難しい長男の子育てに追われ、仕事との綱渡り的な毎日、パートナーとの問題など苦しい時期が続きました。長女出産後から重度の副鼻腔炎を患い嗅覚を消失、慢性疲労を抱えながら、47歳の時には子宮頸癌一歩手前の診断が下り、子宮頸管円錐切除手術を受けるなど体調もボロボロでした💦

精神的にも肉体的にも辛いところからなんとか抜け出したいと、答え探しを続けました。ヨガや栄養療法に出会い、こころとからだの関係に対するスピリチュアル、科学両面での知見を深めていきました。

2024年に入り、長女がカナダに留学、長男は2年半の不登校を経て中学入学と、子育てに一つの区切りを迎えました。17年ぶりに嗅覚を取り戻し、体力気力も回復しました。今は、自分や家族に安心を感じながら毎日自分のやりたいことが出来る幸せを噛み締めています。

 

突然ですが、男性も女性も元気で綺麗な人に、人も仕事もやって来る、と思いませんか?

そんな考えで、開業以来、ご縁をいただいたお一人お一人の方に、内側からの美と健康を通して、何歳になってもやりたいことを思い切り出来る体とメンタル作りをサポートさせていただいています。痛みや凝りだけでなく自律神経やホルモンの問題など様々なお悩みを抱えた方が来院されますが、一時的に良くなってもまたぶり返してしまう背景には、誤った生活習慣やストレスがあります。このため、本格的に体質改善を希望される方には、分子栄養学やファスティング、サプリメント、ダイエット、ストレスへの対処法などを組み合わせたヘルスコーチングを提供しています。銀座サロンのオープンを機に導入した美容鍼メニューもシワやたるみなどお顔の悩みに対して比較的お体への負担が少なく体感しやすいため、ご好評いただいています。

人生100年時代と言われるように、これからは、健康寿命の延長(現状維持)ではなく、アンチエイジング(抗加齢)でもなく、リバースエイジング(若返り)です。専門のクリニックも増えていますが、実はそれほどお金をかける必要はなく、ご自身でできることの毎日の積み重ねがとても大事になってきます。巷に美容や健康の情報が溢れる中、本当に重要なのは、「私に合った」ものを「習慣化する」ことです。

これからも本物の美しさと健康を通じて、誰もが生まれ持った可能性を100%発揮できる社会作りに貢献していく所存です。

 

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